海外での日本人学生の集団万引き事件――「怒り」と「正義感」の行き先を考える
🗓 2025年12月12日
バリ島で起きたとされる日本人学生の集団万引き事件は、単なる海外ニュースにとどまらず、日本国内でも大きな感情的反応を呼んでいます。 とくにSNSや掲示板では、「国内でも同様のことをしていたのではないか」「特権意識が原因ではないか」「実名や住所を晒すべきだ」といった、強い怒りを伴う意見が目立ちます。
こうした反応の背景には、いくつかの論点が混在しています。
1. 「海外での犯罪=日本全体の評価低下」という不安
海外で日本人が犯罪を起こすと、「日本人のモラル」そのものが疑われるのではないか、という不安が生まれます。 そのため、個人の行為であっても「日本の恥」「国益を損なう行為」として、強い処罰感情が向けられがちです。
2. 特権意識や育ちへの不信感
私立一貫校・裕福な家庭といったイメージから、 「甘やかされてきた結果ではないか」「弱い立場の人や外国人を見下していたのでは」という推測が広がっています。 ただし、これらはあくまで想像の域を出ず、事実として断定できるものではありません。
3. 実名・住所晒しは「正義」なのか
怒りが高まると、「徹底的に晒すことで再発防止になる」「社会のためになる」という意見が出てきます。 しかし、私的制裁やネットリンチは、
- 誤情報の拡散
- 無関係な家族・学校関係者への被害
- 法を超えた報復行為
といった新たな問題を生みやすく、結果として社会全体の秩序を損なう可能性があります。
4. 本当に必要なのは「感情の発散」ではなく「再発防止」
重要なのは、怒りをぶつけることではなく、
- なぜこうした行為が起きたのか
- 教育・監督・環境に問題はなかったのか
- 同様の事件をどう防ぐか
を冷静に考えることです。 処罰は法律と司法の役割であり、私たちに求められるのは、感情と距離を置いた議論ではないでしょうか。
まとめ
怒りを覚えること自体は自然です。 しかし、誰かを断罪し、晒し上げることが「社会のため」になるとは限りません。 事件を通じて、私たち自身がどんな社会を望むのか――その問いこそが、いま最も重要なのかもしれません。